春明 力 プロフィール

株式会社マインドプラス
代表取締役 春明 力 (はるあけ ちから)
26歳、資金、人脈、実績0の状態時に
友人2人と共に自宅兼オフィスで起業。
その後、3年間毎年150パーセント以上の割合で収益を向上させ、2011年には目標だった渋谷区恵比寿にオフィスを構える。
セミナー、講演回数は3年で200を超え、
ブランディングを手がけたクライアントは100を超える。
運営しているSNSサイト どんな人.comは、
まもなく登録者3000名。
主催するパーティーは、まもなく10回目。
毎回50名を超える参加者でにぎわっている。
半年前にスタートした
エフェクターズスクールは、第1期、第2期共に満席。
独自のネットとリアルの活用方法で
集客だけではなく、お客さんとの関係までを向上させる手法に定評がある。
「伝えられる人」を増やして
「心から求め合える繋がり」を増やすこと
を目的に活動を続けている。
甘えられる環境
僕が生まれたのは、長崎の田舎の漁師町。

(幼少時 両親と)
「本家の長男」ということもあって、
祖父、祖母、両親から熱烈な愛情を注がれ育てられました。
祖父はいつも幼稚園に迎えにきてくれました。
帰りは寿司屋で昼食。
幼稚園児が寿司屋の常連。
好きなものを好きなだけ食べていました。
いつもにこやかで、優しい祖父。
だけど、出兵経験のある祖父は
「九州男児」的な面も多々ありました。
曲がったことが大嫌いで、
気に入らないことがあるとはっきりと態度に表れました。
ちゃぶ台をひっくり返したり・・・
大声で怒鳴られたり・・・
他の子供を正座させたり・・・
小さいうちから
はっきりと「良いこと」と「悪いこと」
を教えられました。
頼りがいがある祖父。
そして、優しい両親に大切に育てられました。
将来への迷い
高校生になった頃、
「将来」について考える時期がやってきました。
周りの大人で、誰1人として僕に
「働くことは楽しい」と言ってくれた人はいませんでした。
そのせいもあって、
「働く」ということが、どうしても受け入れられませんでした。
長崎の過疎化が進む町。
仕事は限られているのは分かっていました。
公務員になって、役場に勤める。
造船所に勤める。
漁師に弟子入りする。
福祉の資格をとって、介護施設で働く。
どれをとっても、
「人生を諦めろ」と言われているようで
想像するだけでぞっとしました。
しかし、同時に
18年間生まれ育ったこの最高に楽しい時間を捨てて
「外の世界に飛び出していくこと」に対しても後ろ向きでした。
僕の両親は
この町で生まれ、育ち、働いていました。
だけど、僕に対して
「自分の人生は自分で決めていい」
と一切口出ししませんでした。
迷ってた時期、母からの薦めもあって
「視野を広げる」ため
マレーシアに3週間の短期留学に出かけました。
その3週間で、
決して長崎にいたままじゃ経験できない
経験をしました。
マレーシアの市場へ買い物に出かけた時、
どこからか音楽が聞こえてきました。
その音楽を辿っていった先には、
男の人がキーボードをひいていました。
その人をよく見たとき、鳥肌が立ちました。
目が膿んでいて、
そこに蛆(うじ)がたかっていました。
俗に言う「物乞い」と呼ばれる人でした。
「なんで?」
僕の頭に浮かんだのは
「なぜ、この人はこういう状態になったか?」
という疑問でした。
それからも沢山の人を見ました。
ずっと袖につかまって、
花を売ろうとする3歳くらの女の子。
足がないフリをして、
物乞いをする同級生くらいの男の子。
全裸に近い格好の痩せこけて
倒れているお婆さん。
全てが疑問でした。
そして、
「もっと自分の知らない世界を知りたい」
という欲求が生まれました。
それがきっかけで、世界中の人々が集まる国
アメリカの大学へ行くことを決意しました。
アメリカ時代
19歳になった僕は、アメリカ カリフォルニア州に留学しました。

(留学時 ライバルチームと)
もともと勉強が目的ではなく、人生の勉強が目的だった私。
渡米直後、ブレイクダンスに魅せられてしまいました。
つたない英語でも、人種も国籍も関係なく、
ただただダンスが上手い人間が尊敬される世界。
いつのまにか、勉強もそこそこに、ブレイクダンスに打ち込み、
一日3時間 週6日という学生とは思えない練習量を4年間続けていました。

(留学時 練習風景)
素人の集まりだったので、当初は一回戦負けばかり。
悔しさのあまり、激しい練習を積み、徐々に勝てるチームになりました。
サンフランシスコの退会で、準優勝、優勝を何度となく経験しました。

(チームメートと)
人生で初めて、本気で打ち込んだもの。
そして、激しくぶつかりあいながら、一つの目標に向かって
高めあった仲間を手に入れました。
そんな、激しい学生生活。
勉強をおろそかにしていたこともあり、
結局5年がかりでカリフォルニア州立大学を卒業しました。
働くこと
帰国し、就職活動をしようとした時、
高校生の時と同じように働きたくない自分に気づきました。
それはそうです。
大学で、一切働くことについて考えなかったのだから。
『働く=楽しくないこと』
『働く=我慢すること』
『働く=自分らしさを失うこと』
『働く=生活のために犠牲にする時間』
相変わらず、
そんなイメージしか私の頭の中にはありませんでした。
小さい時から言われてきた言葉達
「仕事はつらくて当たり前」
「学生の頃が一番楽しかった」
そして、先に働き始めた友人達の
仕事への愚痴
落ち込んだ顔
それが私の仕事へのネガティブなイメージを
ますます強いものにしていきました。
そんな時、気持ちの中、今まで必要最小限しか使ったことがなかった
パソコンとインターネットでなんとなく調べ始めました。
「楽しい仕事」
「楽しく働く」
そんな言葉を入力しました。
ふざけ半分だったのかもしれません。
しかし、そこには
たくさんの楽しく働いている人たちの姿がありました。
それからは、私は夢中で色々なことを調べ始めました。
数週間後、一つの決断をしました。
「インターネットの世界に飛び込もう」
いつのまにか、自分の考え方を変えてくれた
インターネットに魅せられていました。
WEBコンサルタント会社へ就職しました。
今を生きる
就職した会社は、小さい小さいWEBコンサルタント会社。
社員が少なかったので、入社翌日に担当を持ちました。
しかし、もともとがアナログな私。
お客さんからの質問にも答えられず、
全く信頼してもらえない日々が続きました。
社長からは呆れられ、
年下の先輩からは怒られました。
「あの頃はよかったなー。」
なんていつの間にか思い出に浸るようになりました。
「だけど、今いる場所はここ。
あの頃は帰ってこない。」
そう思い直し、毎日を良くしようとしました。
仕事が終わってからも
休日もひたすら勉強に励みました。
その甲斐あって、半年後には分からないことはすっかりなくなりました。
セミナーの講師までを担当するようになりました。
月に1回のセミナー講師、
あとは、言われたことを無難にこなす。
そんな毎日を送っていた最中、
ひとつの疑問が頭をよぎりました。
「自分が求めていたことはこれか?」
その頃、僕が朝から家を出るときに願うこと。
「早く帰って来れますように・・・」
仕事中に願うこと。
「早く帰れますように・・・」
言われたことをただこなして、
給料日だけのために生きる。
「生きるために生きている。」
いつのまにか、そんな自分になってしまったことに気付きました。
起業への決意
「自分はどう在りたいのか?」
そればかり考えてました。本を読みあさりました。
私が手に取る本、
それは「起業」の本ばかりでした。
「自分だったら、今の会社よりも、より良いサービスを提供できる。
そしたら、もっと楽しく働けるはず!」
いつしか、そう考えるようになりました。
そして、2人の仲間と共に起業しました。
人脈0、実績0、お金0から3人でのスタート。
私達が始めたビジネスは、
「ホームページ制作サービス」
私の知識もありました。
仲間の技術力もありました。
ニーズもあるのは分かっていました。
「絶対に上手くいく」
そう信じていました。
いや、自分にそう信じ込ませていました。
値段をぎりぎりまで下げて、
「日本一安い」を売りにしてスタートした
ホームページサービス。
自信満々でリリースしたサービス。
ほとんど売れませんでした。
交流会に行って、知り合った人とお互いのサービスの売り込み合戦。
営業会社に同行しての売り込み。
インターネットで、メールアドレスを片っ端からリスト化して、メール送信。
ただ、売ること。
ただ、利益を上げること。
ただ、今を乗り切ること。
それだけを考える日々でした。
そんな中で購入してくれる人もいました。
そして、いつも言われた言葉。
「安いから買った」
「安さ」を売りにして、思った通り売れた。
喜んでいいはずなのに、何かが違いました。
お客さんの命令通りに動く日々。
毎日、増えもしない通帳を眺める日々。
給料も、配れない月もありました。
打ち合わせに行くのがストレスで、
体調も壊しかけていました。
「もうやめようか・・・」
そんな言葉が頭に浮かんでいた頃、
ある機会が訪れました。
すごい人との出会い
電話をもらったのは、同世代の起業家。
「すごい人たちに会える機会があるんだけど行きませんか?」
仕事以外で人と会うのが怖くなっていた時期でした。
「だけど成功者に会えたら、
成長できるかもしれない。」
そう期待して、参加を決意しました。
会場は、有名な超高級マンションの一室。
中には、若手起業家30人程度。
そして、テレビに出演されたり、
何冊も書籍を出されている方たちがいました。
胸が高鳴りました。
「何かが起こるかもしれない。
現状から脱出できるかもしれない。」
そんな希望を胸に挨拶に向かいました。
その時のことは、今でも覚えています。
話しかけても無視され、
口を開いたと思えば、
下品な話の連発・・・。
話をしてくれる気もないし、
私達に興味なんて一切ない様子でした。
よくよく観察していると、
それは、私だけではなくみんなに対してでした。
もちろん、すごい人と言われる人たちが
そんな人ばかりではないのは、理解していました。
でも、私が初めて出会ったすごい人たちは
目の前にいる人たちです。
「こうなりたい」と思い、憧れるような人たち。
テレビに出ている人。
何冊も出版している人。
何千人の前で講演している人。
僕にとって、忘れられない一日になりました。
好きな人と
トラウマになるような出来事でした。
だけど、同時にあることに気付けました。
あれだけ嫌だった会社員時代
と起業してからと何も変わっていないこと。
「生きるために生きていること」
に気付けました。
高校生の時にマレーシアで逢った人達。
ずっと袖につかまって、
花を売ろうとする3歳くらの女の子。
足がないフリをして、
物乞いをする同級生くらいの男の子。
全裸に近い格好の痩せこけて
倒れているお婆さん。
物乞いと呼ばれる人たちも
生きるために生きていました。
今日生き残るために生きている。
自分とそう変わらないことに気付きました。
その日、僕が僕に誓ったことが2つあります。
「良い人間になろう。
影響力のある人間になろう。
そして、『明日の社会』のために生きよう」
そのためにどうすれば良いか考え、実践しました。
どうやったら、必要としている人に届くのか?
実践を通して、学び続けました。
手探りで、失敗と成功を繰り返す日々。
ひたすら、伝え続けた日々。
そんな中、ある電話がかかってきました。
「お願いしたいんですけど・・・」
それは、耳を疑う有名飲食店からの電話でした。
おそるおそる打ち合わせに向かうと、
テレビで見たことある方がそこに座っていました。
打ち合わせの最中、
なぜうちに頼んでくれたのか尋ねていました。
「ブログで好きになって、お願いすることに決めた。」
「ブログで好きになって・・・」
「好きになって・・・」
値段が安いからじゃなく、
僕という人間を評価してくれること。
「伝えて、届く」
ということに近づけたと思えた瞬間でした。
その人との仕事は、今までとは比べ物にならないほど、
楽しい仕事になりました。
僕らを信頼してくれる。
僕らを大切にしてくれる。
僕らを必要としてくれる。
起業したきっかけになった
「楽しく働く」
それが確かにそこにありました。
伝えること
僕らは伝え続けました。

色んな方法で僕らの存在を伝え続けました。
僕らの価値を伝え続けました。
ブログで・・・
ホームページで・・・
セミナーで・・・
僕らの価値を伝えていきました。
時には失敗することもありました。
後悔したことも何度もありました。
だけど、そのたびに改善しました。
そして、
楽しさも
喜びも
売り上げも上がり続けました。
「辛さ」も「我慢」もなくなっていました。
おかげで、沢山のことに気付けました。
「本質を追求することの大切さ」
「料金を安くするのではなく、価値を高くすること」
「自分自身が成長すること」
そして、
「お客さんも自分達も幸せでいれること。
また、そうでなくてはいけないこと。」
沢山の大切なことに気付けました。
再会
そんなある日・・・
一本の電話がかかってきました。
「○○ですが・・・」
耳を疑いました。
以前、高級マンションで会った「すごい人」と呼ばれている人でした。
その人は、私のことをすっかり忘れていました。
いや、最初から覚えていなかったんだと思います。
そして、発した言葉。
「素晴らしい活動されてるから、
以前からお会いしたいと思ってたんですよ。」
私はその人に会いに行きました。
私が知りたかったことはひとつだけ。
「何のために、この人は働いているか?」
ただそれだけでした。
私がやりたいこと
その人と話した時。
私がやりたいことがより明確になったのかもしれません。
その人が私に話したことは・・・
自分がどれだけお金があるか。
自分がどれだけ大切にされているか。
自分がどれだけ特別な人間か。
それだけでした。
そして、「組みましょう」と提案されました。
自分がお金を持つことで何になるのか?
自分が大切にされてどうなるのか?
特別な人間がやるべきことは何なのか?
その先にある「大切なこと」
その人の「社会的価値」
それが、私には伝わりませんでした。
考えていないように感じました。
そして、組むことを断りました。
僕はおぼろげながら、
自分の在り方を見つけていました。
「伝えられる人を増やすこと」
価値ある人が、
その価値を必要としている人にちゃんと届くこと。
そして、お互いに求め合える関係になること。
そんな関係を創るため
僕らは「伝えられる人を増やすこと」
をしていくことを決めていました。
そして、それからもそのために活動し続けました。
>>マインドプラスの活動の歴史はこちら
何にも分かってなかった時期に設立した
マインドプラス。
現在3年半が経ちました。
誰も知らなくて
誰からも必要とされなかった初期。
必死に伝え続けた3年半。
「伝えることの大切さ。」
「伝え方」について伝え続けた3年半になりました。
大切なことに気付き続けたおかげで、
大切なクライアントにも沢山恵まれました。

(マインドプラス3周年パーティー)
恋愛相談にのったり
休日に遊びに行ったり
自宅に泊まりきたり
クライアントという枠を超えて、
人と人としてお付き合いさせていただいています。
活動も
活動から気付きを得て、
必要性を感じたものを徐々に増やしています。
どんな人.comや
ウィッシュブックなどの
ソーシャルネットワーク事業
セミナーや
エフェクターズスクールなどの
スクール事業
ブログブランディングや
ふかメルなどの
ブランディング事業
「価値あるものを創り、
価値ある人を伝えられる人へする。」
すべてがそのための活動です。
クライアントからの喜びの連絡。
クライアントの方達のご活躍。
一歩ずつ
一歩ずつ
成果は出ていることを実感しています。
充実感も、満足感も感じています。
だけど、
「やりたいこと」
「やるべきこと」
はまだまだあります。
『伝えられる人』を増やすこと。
『心から求めある関係』を増やすこと。
そのためには、
必要としてくれる人達をさらに大切にしていきます。
そして、最も適した価値を提供していきます。

2012年 3月 春明 力
【マインドプラスの存在理由】
人は必要とされ、「求められる人」になることを望んでいます。
それぞれが、自分の「才能」「能力」「技術」「人間力」を発揮して、
人の役に立つことを願っています。
「求められる人」になるためには、自らの価値を理解する。
または、価値を創造していくことが大前提です。
そこから、魅力的かつ、誤解なき形で「価値」を伝え続けることが必要不可欠です。
それらが「求められる側」だけではなく、
「求める側」にとっても「真の幸せ」を生み出します。
世の中に溢れている一時的な満足感ではなく、
「本物の価値」として双方が喜びを分かち合えるものになります。
「本物の価値」が溢れる世の中になるため、
マインドプラスは、「伝えられる人」を増やし、
「心から求め合える関係」を創るために存在しています。
多くの人が「与えることができないもの」を与えられる人達がいます。
そして、その人達を必要としている人がいます。
そんな人達の価値が「必要としている人」へ伝わらないことは、
社会を良くないものにしていきます。
だから、マインドプラスは「伝えられる人」を増やすために活動しています。
自分や、他の人について「深く理解できる」場所を創ること。
自分が与えることができる「価値」を理解した「伝えられる人」を増やすこと。
個人が情報を発信するべき現代の産物(ソーシャルネットワーク等)も活用し「伝えられる場所」を増やすこと。
そして、まだ存在していない「伝えられる仕組み」を多視点的に創り、「分かち合える社会」を創ること。
それらの活動によって、真に「伝えられる人」を一人でも多く増やすこと。
一つでも多くの「心から求め合える関係」を創り出し続けること。
マインドプラスは、
それらを通じて社会が「より良い場所」になるために活動し続けます。
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